服に限らず、売れるものはいいものと思いがちだが、それは本当だろうか。クリスチャン・ディオールのアーティスティックディレクターに就任したラフ・シモンズが、自身初となるオートクチュール・コレクションを発表するまでを追った記録映画『Dior and I(ディオールと私)』では、シーズン毎に5000万円ほど買う顧客の意見の取り扱いに関するやりとりが登場する。そんな文化的背景は日本にはない。良い服とは売れる服。この定義は日本の国民性において洋服の感性を育むことにならないだろう。
衣服とは主に体幹部を覆うもの、一般に着るもの全体のことを言う。被服と衣料は、人間が身体を覆うため身につけるもの。アパレルは商品としての衣服。衣装は衣服一式のことである。衣服の目的は、保健的・生理的機能として、環境からの身体保護、生理的・行動的快適性の確保がある。文化的・心理的機能としては、羞恥心を無くし、美しく身を飾る身体装飾の役割がある。これは、富や権力、階級、集団の象徴に関連する。その衣服の製品価値としては、耐久性・機能性・価格、ファッション性と人が感じる効果(感性)がある。衣服は着用する場の日常性や用途によって分類される。例えば、年齢や性別では、ベビー服、紳士服、婦人服。身体の被服部位では、上衣、下衣。重ね着する場合は、外衣、中衣、下着などである。これらの衣料用語はJISに規定されている。
衣服のデザイン要素としては、肩線、襟、ネックライン、袖、前の打合せ、ポケット、タック、ベントがある。サイズは基本寸法とサイズ範囲とで表示され、実際はウエストと身長で展開されている。衣服の生産方法は、注文服と既製服がある。注文服は自分の好みと体型に応じて製作するのに対し、既製服は不特定多数の人を対象にして大量生産する。既製服のサイズ表示は国ごとに異なるので、購入するときは注意したい。既製服を生産するときは、一次設計として、誰にどんな服をいくらで作ってどのくらい売るかといった商品企画があり、それに基づいてデザインを考案して絵に起こす。二次設計としては、デザインから型紙を作成し、試作用生地で試作が行われる。そして、工業パターンを作り、グレーディングを行い、工場用パターンを作る。断裁のために布上に衣服のパーツの配置を決める。断裁して縫製すれば衣服は完成する。
衣服は製造から小売りまで行うアパレル企業、小売り、商社・卸によって市場に流通している。様々なファッションブランドがあるが、多くは、異業種の会社まで合併などで吸収し、多種類の事業を営む企業グループによって販売・流通されている。世界的に見て、テキスタイルの消費量は増えているが、日本のアパレル企業のプレゼンスは高くない。
日本のデザインは、ファッションにおける感性情報を定量化し、素材作りからファッションデザインに取り入れていくようになる。繊維工学では、デザイナーによる生地の選択過程を解明し、生地の触感など官能検査を行って主成分分析による手触りの特徴を明らかにし、それを基に、商品生地の感性評価の設定・検索できるテキスタイル提案システムを構築してきた。しかし、“洋服”の感性が育ってない日本のファッションデザインは、意匠の部分脆弱すぎる。のっぺりした体系の日本人に合わせて平面的な裁断。無駄が出ないようにケチった安物に見えるのだけど、シーズン毎に流行を楽しむ服だから、売れる服は値頃感のあるもの。超温かい・超涼しいとう機能性にお金を払う。良い服とは安物に見えない(思わない)機能的な安い服。日本のファッションデザインは、繊維メーカーとマーケターがやっている安物に見えないカモフラージュテクニック。もう通用しないですよ。