商品開発においてデザイン重視の傾向は世界的なもので、イノベーティブな商品やサービスの創出に余念が無い。イノベーティブな商品として有名なのは、キーボードを無くして電話を再発明したiPhoneだが、その道筋を作った初代iPodのデザインを今回は取り上げたい。その理由は、プロダクトの訴求力を高めるには、基本はエクスペリエンスにかかっているが、完璧なエクスペリエンスではなければならないことを示した点にある。
1.シンプルである
脳の情報を一時的に保ちながら処理する部分のワーキングメモリは、同時に5~9個の考えしか処理できないと言われている。メンタルリソースが限られているのに選択肢を増やせば、気が散って良い判断ができない。脳は簡単であることに集中し、複雑になるとできるだけ早く他のことに意識が移ってしまうようだ。初代iPodは、出来ること(出来ないこと)がハッキリしている。iPodは、クリックホイールの周りに、メニュー、再生/一時停止、次の曲、前の曲と、4つのボタンしか配置されていない。これらは、既存製品と同じアクションで操作できるから、ワーキングメモリにとって負担にならない。曲に辿り着くまでに、「カテゴリ→インデックス→曲目」と3クリックしか要せず、クリックホイールは曲を順に見たり、音量を調整したりするのに使い、親指だけで操作できる。人間には使いにくいと感じる機能の数に上限があり、それ以上増やしてはいけないのだと思う。
2.音楽を聴く体験がデザインされている
iPod発売前のアメリカでは、Napsterなどのインターネット配信サービスを利用して、音楽を無料で楽しむパソコンユーザーが台頭していた。音楽CDから楽曲を携帯プレーヤーに移すよりも、好きなときに好きな曲だけをダウンロードして聴くことが当たり前となりつつあったのだ。そのため、違法ダウンロードが社会問題化していたが、Appleは違法ダウンロードと戦うと宣言してiTunesサービスを開始したのである。Sonyのように自社レーベルというしがらみのないAppleは、音楽や動画ソフトを各社から集め、無数にある音楽から好きなものを探し出すための優れた検索性をサービスに実装した。そこにiPodを投入することで、音楽体験を「音楽を探す→購入する→プレーヤーに転送する→楽しむ」という、新たなユーザー・エクスペリエンス(UX)に進化させた。長く携帯音楽プレーヤーを販売してきたSonyなどと比べて精密機械の技術的優位性はなく、ブランド力も見劣りするAppleだったが、各ステージがシームレスにつながり、優れたエクスペリエンスをもたらしたシステムに満足したユーザーは、繰り返し利用し、売り上げと普及に貢献したのだ。
3.バリュー・イノベーションを実現した
iPodの発売前から携帯音楽プレーヤーは多数存在しており、音楽のインターネット配信サービスはSonyが1999年に先鞭をつけていた。しかしiPodは、従来品の延長線上にあるような技術・商品であっても、ユーザーと自社にとっての価値を大幅に高めて市場参入すれば、利益の上がるビジネスモデルを構築でき、既存市場の境界を再定義することができるとことを示した。違法ダウンロード防止は「iTunes→Mac→iPod」で担保し、サードパーティーのiPod/iTunes関連グッズ販売を促進し、エコシステムを構築したのである。この新しい活用法を創造する行為は、iPhone/iPadでも成功した。
これからIoTが本格化し、製品の操作系は機械式からタッチ式に変わり指先の感覚の気持ちよさが過去のものとなってしまうかもしれない。iPhone の機械式のホームボタンが無くなるという噂は良く聞く。UXも進化するだろうが、タンジブルを忘れないようにしてほしい。初代iPodは、唯一スイッチが機械式なのだ。