2011年2月に公開された映画『英国王のスピーチ』を鑑賞する機会があった。原題は“The King’s Speech”である。タイトルやキャッチコピーのような短いフレーズは、文法を正確に読まないと、とんでもない誤解をしてしまう。本作品タイトルの“The”は“King’s Speech”全体にかかって、「あのスピーチ」という特定の演説を指している。ジョージ六世にとって一世一代の演説とは開戦の演説そのものだが、“Speech”には「演説」以外に「話し方」という意味もある。吃音症克服のために努力をするヨーク公が、最後に英国王となって開戦の演説を成功させる感動の物語である。『英国王のスピーチ』だと“The”は“King”にかかるだろうが、“I am King”が正しくて“I am the King”とは使わない。『開戦のスピーチ』としたら、ある意味ネタバレになるだろう。適切な訳とは言えないが、いい邦題である。
ヨーク公の場合は、発達段階で起こる発達性吃音であり、神経疾患や外傷などで起こる獲得性吃音ではない。吃音症を治すには、幼少時に受けた心の傷を治すことが必要だった。そのためのセラピーは、自分の内面のすべてをさらけ出す辛いものとなる。父である偉大な王の子、あるいは後継者というプレッシャーに耐え、女癖の悪い無責任な兄に対しては忠誠心を持って諫言しなければならなかった。こうしたストレスを、怒鳴り散らしたり、卑猥な言葉を連呼したりして発散することで、少しずつ改善されていったのである。 実際に、吃音を治す現場でも、脳、心理、生理的現象、コミュニケーション、体の使い方などを、時間をかけて少しずつ統合的に治療を行う。人の心は根拠がないものに確信を持てないので、イメージトレーニングや催眠療法などから始めると失敗するからだ。最初は合理的なアプローチを行い、それで少しでも治るという兆候を感じることが大切なのである。まずは話し方の癖から手を付けていき、その後、心理的なアプローチをしていくというのは、とても効果がある。 言語障害には、「音声機能の障害」と「言語機能の障害」とがあり、吃音症は音声や構音・話し方の障害である「音声機能の障害」に分類される。しかし、障害者手帳により福祉サービスを利用する場合、精神障害者保健福祉手帳を取得することになる。吃音症は発達障害に含まれているのだ。現状では、病院に行っても、吃音を理解できる医師が少ないため、基準に当てはまるかを判断できる診断書を書いてもらえないのである。
ジョージ六世は努力の末、国民の期待に応える演説を成し遂げた。その場に立ち会った臣下たちはとても感動したことであろう。国王の国民に向けた開戦演説がどのような力を持つのか、正直なところよくわからないが、遠隔地で国民や兵士たちはじっとラジオに耳を傾けていた。洋画の邦題は、鑑賞体験をデザインする大切な役割があるにも関わらず、独りよがりで低俗なものもある。接点が少ないほど、考え抜かれたコミュニケーションを計画しないと何も伝わらないと、改めて認識した。